1991年9月 フリッパーズ・ギター解散



8月10日~19日:夏休み。二人とも都内で過ごす。
8月28日~9月10日:小山田は自宅でファミコン三昧。小沢は海外ひとり旅。
9月12日:渋谷クラブクアトロ3daysに出演。
9月19日:TFMホールにて公開録音ライブ後、行方をくらます。

フリッパーズプロジェクトの総指揮官の牧村氏には
9月21日スタッフ経由で2人から解散が告げられる。以後連絡不能。

牧村氏:
あまりにも唐突で誰もが予測していなかった。多分本人達も。
その時点では、まだ翻意できるのではないかと誰もが願い、思っていました。

それから何とか連絡がついたのは数日後。
事務所やレコード会社はフリッパーズを継続させるために
彼らと交渉を続けたが「解散しました」という言葉以外は
得ることは出来ませんでした。

解散は事実になりました。それからコンサートの中止やレギュラーの番組、
連載、CMの中止などの手配や後処理に追われる毎日が続きました。



そして10月29日、所属レコード会社のポリスターは
先延ばしにしていた解散をマスコミに通達。

牧村氏が書いたレコード会社としてのコメントは以下。

「彼らの意思を尊重して解散することになりました。
 解散は新しい出発の儀式として受けとめています」


雑誌で連載『月刊・小沢と小山田』を担当していた
ライターの能地祐子さんは9月に小沢と電話で話をした。

小沢:
「あのさ、本当のことを書いてくれるって約束したら、本当のことをいうよ。
 あのね、フリッパーズ・ギターは解散したんだよ」

解散は小沢宅でのレコーディング準備の作業中に、二人で決めた、と。


ヘッド博士は内容に表れていましたが、
解散前提で作ったアルバムだったということなんですね。。。


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